PLANETROX JAPAN
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—— 少年ナイフというと世界で活躍している日本人バンドの代表格で、かつ日本でもテレビ番組の主題歌として曲が使われてたりと唯一無二の存在なんですが、海外で評価されることになるキッカケって何だったんでしょうか?

 えーっと、話すと長いし昔のことだから自分でもハッキリ思い出せないけど、キッカケは京都のマイナーレーベルから出したアルバムをたまたまアメリカの人が買ってって、連絡がきて…っていうことですね。80年代の最初にZero Recordからアルバム『Burning Farm』をリリースしたんですけど、それを日本の輸入レコード屋さんで扱ってもらってたんです。で、たまたまアメリカのワシントン州オリンピアでKっていうレーベルをやってるCalvin Johnsonが大学の卒業旅行だかなんだかで東京に来てて、『Burning Farm』を買ってくれて。

—— Calvinって、Beat Happeningのボーカルの?

 そうそう。そのとき彼は、日本のマイナーレーベルから出ているCDをたくさん買って帰ったらしいんですけど、その中でも少年ナイフを気に入ってくださって、「自分のレーベルからカセットアルバムを出さないか?」っていうオファーをくれたんです。それでマスターテープを郵便で送って、向こうでカセットアルバムを作ってもらって、それをまたこちらへ送ってもらって…それでやっと「ああ、本当に出てるんだ」って(笑)。Kはワシントン州のシアトルに近い町、Olympiaにあるんだけど、その頃はNIRVANAがインディペンデントで活動しているときで、Calvinがカート・コバーンと交流があったこともあって、その周辺の人たちも少年ナイフを聴いてくれてたみたいです。

—— カセットアルバム盤の『BURNING FARM』は、既に日本でリリースしていたものと同じ内容だったんですか?

 確か、日本でリリースしたものに3曲くらいプラスしましたね。日本盤は2,000枚くらいがすぐ売れたんですけど、海外だと何枚売れたかよくわからないうちにどんどんアルバムを出さないかってオファーがくる感じで、そのカセットアルバムを聴いたフロリダのSubversive Recordsから「アルバムを出さないか?」というオファーがきたのでレコード盤をリリースして、更にそれを聴いたGASATANKA/GIANT RECORDS(現ROCKVILLE)からも連絡がきて…メールもFAXもない時代だったから全部手紙なんですけど(笑)。で、ライブをしに来てほしいっていうことで夏休みを利用してロサンゼルスに行って、89年8月に初めて海外でライブをしました。そのライブにはSONIC YOUTHのサーストン・ムーアとかWHITE FLAGやREDD KROSSのメンバーが組んでたTater Totzっていうオールスターバンドも出てて。確かこのライブにはカート・コバーンもお客さんとして来てくれてたみたいです。(91年のライブだったかもしれないけど、どちらかに)

—— 海外での最初のライブ、どうでしたか?

 自分たちで交通費を払って半分旅行のつもりで行って、楽器も向こうで貸してもらったのかな。そんな感じでワクワクはしてたけど、実際ライブをしたらお客さんのノリが良くてビックリしましたね。その当時の日本のお客さんはジェントルだったので。

—— その次に海外でライブをしたのは?

 91年の8月にGASATANKA/GIANT RECORDSの企画で。ロスとサンフランシスコとニューヨークとニュージャージーだったかな? Los Angelesから撮影隊も同行してMVを撮ったりしました。その次が、同年11月にNIRVANAとまわったU.K.ツアー。フロントアクトのオファーがきて3週間一緒にツアーをまわりました。『Nevermind』のリリースツアーですね。

—— そのツアーを経て海外での人気がひとつ上にいったなっていう実感はありましたか?

 そうですね。やっぱりNIRVANAはブレイクしていたときなので。カートがとにかく自分の好きなバンドをサポートしていたっていうのもあって、世界中のいろんな人が少年ナイフを聴いてくれるようになりましたね。

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—— ツアー中の裏話があれば教えてください。

 楽屋でカートとCaptain America(現Eugeneous)のメンバーがフードファイトしてて、テーブルがめちゃくちゃになってたりっていうことはありました(笑)。あとはツアー中のシークレットギグで「『ツイスト・バービー』をカバーしたいからコードを教えてくれ」ってカートが言ってきたんで教えたら、すぐに覚えてパッと弾いてくれはりました。そのときは、地方だったら1,000人、ロンドンで2,500人くらいのキャパのところでライブしたんですけど、どこも満員状態でしたね。

—— へえ〜! 昔読んだFOO FIGHTERSのインタビューで「フェスを主催するならどういったものにしたいですか?」っていう質問に、デイブ・グロールが「少年ナイフをぜひ呼びたい。一緒にツアーをまわったとき、日本から来た女の子たちがピョンピョン飛び跳ねながらライブするのを見てステージ袖にいた俺もカートも涙が止まらなくなった」みたいなことを言ってて

 うん、いつも私たちがライブをやってるのを毎回毎回ステージ袖で見てくれてはりましたね。

—— その頃って、他に海外でツアーをやってる日本のバンドっていたんですかね? 日本のオルタナシーンでは少年ナイフが最初だったんじゃないかと。

 LOUDNESSが海外でやってたみたいなことは聞いたことありますけどね。少しあとだとNIRVANAの93年のツアー前半にBOREDOMS、後半に少年ナイフが前座をやったんです。BOREDOMSと少年ナイフはお客さんもシーンも違いますけど。そのときのNIRVANAは、スタジアムクラスでライブをやってて、例えるなら大阪城ホールみたいなところでしたね。91年にフロントアクトやったときの10倍くらいに増えてました。

—— やはり海外で演奏されるときは、日本を代表して世界に戦いを挑むという気持ちで挑んでいるのですか?

 私は女性だからか勝つとか負けるとかいう感覚もないし、音楽は勝ちか負けかじゃなくて、ただ好きか嫌いかだけの話なので。どれがいい悪いもないし、面白い音楽を作って、それを聴くのが海外の人でも日本の人でもこだわらないし、あまり海外だからどうっていう感覚はないですね。ツアーにしても海外と日本、どちらも同じ気持ちでまわってます。

——ツアーといえば、4月14日からヨーロッパを回る35周年ツアーが始まりますが、今回はどんなツアーになりそうですか?

 35周年だなんて私は全然意識してなくて、レーベルの人とかがそういう名前にしたいっていうから(笑)。『アドベンチャーでぶっとばせ!』っていうアルバムのリリースツアーなので、アルバムの曲と厳選した曲をやるって感じです。

—— メモリアルツアーではなく、アルバムのリリースツアーというスタンスですか?

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 時間の流れなんてあまり感じてないし、35周年ならまだいいけど50周年とかになったら「この人一体いくつなんやろ」って思われちゃうし、何年でもええわって(笑)。ロックは時間軸も越えるものだから。

—— 今回のツアーもそうなんですけど、少年ナイフって連続して長い日程をやるじゃないですか。移動も大変ですよね?

 そうですね。日本やイギリスとかだったら町と町の距離が短いからいいんですけど、アメリカとかになるとものすごく遠いから1日平均6時間をドライブしてからライブっていうのを繰り返しで。

—— 体力的にはどうですか?

 週に1、2回テニスをやってるんで平気です(笑)。車移動中は、寝てたりiPadでゲームやったり本を読んだり。前は読書灯を持っていったりしてたし海外で日本の本を買うと高かったりしたけど、今は本もiPadのアプリで読めるから便利な世の中になりましたねえ。

—— 海外で長くツアーするバンドはiPadを持って行けってことですね。

 そうですね。本のアプリを入れてね。あと、海外ツアーであると便利なのは、ホテルで履くスリッパだったり洗濯用のネットだったり…ツアー中一番困るのは洗濯ですしね。

—— オフの日はどんなふうに過ごしていらっしゃいますか?

 アメリカのツアーだと1日移動して途中の町で泊まって、また移動してって感じなのでオフは移動ですね。イギリスだったら…まずは洗濯(笑)。ちゃんと時間があるときは観光したりもしてます。

—— このインタビューを読んでいる、これから海外で活動したいというバンドに向けて参考になればと思うのですが、少年ナイフが海外でウケた理由はどうお考えですか?

 音楽がポップで面白くて何処の国の人にもわかりやすかったり、歌詞で扱ってるモチーフがバービー人形とかジェリービーンズとか、海外のものだったりとかするから親しみを感じてもらいやすいのかも。あと、私がアメリカとかイギリスのロックしか聴かないので、そういうところから影響を受けて書いた曲だから受け入れられやすかったのかな。女性3人が同じ衣装を着てたのも目立ったのかも。

—— 海外盤だと日本語の歌を英語で歌い直してますよね。そういったところはレーベルからのアドバイスがあったのでしょうか?

 いえ、もともとバンド結成したときから英語で歌いたいっていうのはあって。なんでかっていうと、ロックの言語は英語やと思ってるので。海外でやっていくにしたがって、歌詞の意味がわかるほうが向こうの人が喜んでくれるっていうのがわかって、それで英語で歌詞を書くことが多くなりました。外国に行くなら、ある程度英語ができたほうがいいかなとは思います。私はもともと短大の英文科だったりしたんですけど、90年代に英語でたくさんインタビューを受けて英語力があがりましたね。英会話教室5年分の勉強を一気にやったような感覚(笑)。メールのやりとりも英語だから、それも勉強になります。

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—— 突っ込んだことを聞きますけど、海外ツアーは収益的に日本よりも儲かりますか?

 私たちの場合は、国内より海外のほうがいいですね。グッズが売れたり、日本より大きいところでライブをやれてるので。

—— 海外ではレコードやカセットの方がCDよりも売れるっていうのはどうですか?

 両方買ってくれる人のほうが多かったですね。売り上げ枚数的にはCDのほうが多いけど、アナログ盤に曲のダウンロードパスを入れてるんで、それでよく売れてるんじゃなかな。作ることでいえば、CDのほうが安いしレコード作るのってコストかかりますからね。

—— 海外だと、知らないバンドでもカッコ良かったらリスペクトを込めてグッズを買うという風潮があると聞いたことがありますがこちらはいかがでしょう?

 ありますね。たとえば私たちのライブの前座バンドのアルバムを買って行かれる方もいるし、聴いておもしろいと思ったらパッと気軽に音楽を買う人たちが多いです。

—— 音楽への好奇心も高いんですね。

 そうですね。日本って若い人しかライブハウスには行かないけど、海外は音楽を楽しんでる年齢層も幅広くて、それこそ小さい子供から60・70代くらいの人まで。昼間にサウンドチェックしてたら近所のおじいちゃんが勝手に入ってきて「あんたら今晩やるの?」って聞かれて「はい」って答えたら「そう。面白そうだから夜観に来るわ〜」って(笑)。パブみたいなところだったら、お酒飲むところの横にステージがあるんですけど、誰でも気軽にお酒飲むついでに来るみたいなところもありますね。

—— 日本だとバンドごとに客層が決まってますもんね。音楽と町とが親密でうらやましいです。最後に、これから海外へ羽ばたいていきたいと考えているバンドへアドバイスがあれば

 日本って地球儀でいうと極東で、ある意味独自の文化と価値観を持ってて生物学的に言うとガラパゴス的なところもあると思うんです。ロックっていうのはアメリカやイギリスからやってきたものだから、音楽(ロック)をやるならぜひそのあたりの外国を見て欲しいなと思いますね。

インタビュアー:長州ちから TEXT:野中ミサキ


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